上手い付き合い方を見つけた気がする話

 メンヘラ雪だんごはTwitterをやめた。そして、これは5割成功した。5割失敗した。

 実は最近、私は再びTwitterのTLを見られるようになってきている。逆に言うと最近までTLを見られる元気もなかったということであるが。なぜ見られるようにまで回復したかというと簡単な話で、対人での上手い関わり方を見つけたからである。

 それはすなわち、人間をコンテンツとして見るという方法である。他人をフォロワー、友人などとは思わない。ただこういう情報を発信するアカウントなんだ、とだけ考える。それは性格や経験などから発せられる文章なのではなく、偶然その文字列が生成されただけだと考える。要は、アカウントに中身が存在しないと思い込むという話である。

 人間と関わるのが苦手なら、相手を人間だと思わなければいい。他人をコンテンツとして楽しむのは当人を嘲笑っている、性格を馬鹿にしているような気がして長い間避けていたのだが、私の心を保つためにはやむを得ない。そうすることで、今の私は時々Twitterを見ている。しかし、逆の立場から、すなわちこれを読んでいる人が私のTwitterアカウントを見て人格があるのだとは期待しないでくれ。私はもう文章に心を込めていない。ただ嘆いているだけ。他人をbotとして見ることで、自己もbotになったのだろう。しかし、私はせめて残り香をここに記したい。ここは私の心の墓場だ。心があったことを記し、私の心の存在を繋ぎとめる墓場なのだ。ブログには心を残している。そう、自分でも信じたいのだ。