【魂魄妖夢との出会い】躁鬱病だった頃の話 その2

今回話すのは、雪だんごと自殺未遂と魂魄妖夢の話。時々匂わせている内容ではあるが、ちゃんと文章に残してみる。10年後くらいに笑ってこれを読めたら良いなと思いながらこの先の文章を記す。

2年半くらい前、つまり2020年の春頃、私はそれはそれはとても病んでいた。私が日常生活に支障をきたすくらい病み始めたのはさらにその1年半くらい前からなのであるが、まあとにかくこの頃私は最も病んでいた。というのも、仔細は省くが人間関係であまりにいろいろありすぎたのである。

SNSを見るだけで吐き気を抑えられなくなったり、一対一の会話で情緒を安定させて喋ることができなかったり、そもそも人間が怖くて外に出られなくなったり、家にいてもひたすら泣いていたりと、当時は本当につらい思いをしていた覚えがある。夜寝たいのに朝が来るのが怖くて寝られず、仕方なく外に出てみるも何も事態が変わらないのを知ってまた泣く。そんな毎日であった。希死念慮も当然酷く、最低でも一週間に一度は自室で首吊り縄をベッドに括り付けて首を吊ろうとしていた。不定形であるため当然死ねなかったのであるが、これを繰り返しているうちに、「しんどくなったら首吊りで頸動脈が圧迫されて目の前が真っ赤になり脳に血が行かなくなる感覚を味わうことで生きている事を感じる」という相当に苦しい生き方を見出していった。本来であれば精神病院にでも入院すべきほどの精神状態であったのだが、前回も言った通り私の保護者が精神病院に行くことを許可していなかったため、一度も医者にかかることも向精神薬を服用することもなかった。とにかく、私は極度に病んでいたのである。


こんな生活を数か月続けていた日のことだった。あまりにも現状に耐えられなくなった私は「不定形で死ぬか死なないかのぎりぎりまで首を吊る」ということをやめ、ついに定型の首吊り、つまり「高い所に縄をかけて足がつかない状態にして首を吊る」という行動に手を出すことを決意する。

時刻は午前2時。その日は雨が降っていた。「こうこうこういう理由なので自殺します」とだけ書き記した遺書を机に置き(殺人と疑われて通報されても困るため書いた)、いつも使っている先端が首吊り用に結ばれている縄と首を絞めやすくするように首に巻くタオルをバッグに入れて家を発つ。どうせ二度と帰らないのであるから、邪魔になる傘は持たなかった。

向かう場所は近所の公園。最期なのだからとゆっくりと足を進める。それはもうすごく濡れた覚えがあるが、後悔などなかった。

そうしているうちに私は公園の入口に到着した。特に緊張もしておらず、そのまま公園内に足を進める。人は当然いなかった。そしてブランコの前まで足を進め、そのまますぐにバッグから縄を取り出した。ブランコの上の梁になっている部分に向かって思いっきり縄を投げ、そのまま何重にも回した。私の縄は長さを調整していなかったため、長さを調整する必要があったのである。これなら縛る手間も省けて一石二鳥である。

雨で濡れてロープが切れないか心配になりながら、ブランコの台座部分に足をかける。縄に首を通す。あとは足場となっているこの台座を蹴り飛ばすだけ。そして、私は台座を蹴った。────否、蹴り飛ばそうとした。

死ぬのが怖くて蹴られなかったのではない。ただ、一人のキャラクターのことが思い出されただけなのである。当時の私が特に好んでいたというわけでもなかったのに、その存在がふと脳内に入り込んできたのである。それが、魂魄妖夢であった。彼女は、私に「今はまだ冥界に来ないでください」と悲しげに私に向けて囁いているようであった。


前フリが長いうえにオチが最高にきしょいな──────


まあとにかく、魂魄妖夢に「まだ死なないで」と言われているように感じた私は縄を首から外し(足元滑りそうだったので怖かった)、ロープを回収して急いで家に帰った。この計画が誰かにばれている雰囲気はなかった。
冷えた体を拭き、暖かい布団にくるまる。そして先ほどの不思議な邂逅に頭を巡らした。

あれは一体なんだったのか。夢だったのか、はたして走馬灯だったのか。或いは幻聴だったのかもしれない。しかし、あれは偶然ではなく、何かの想いが伝わってきたのではないかと、当時の私は考えた。今考えても、私にはなぜ魂魄妖夢という存在が私を死なせまいとしたのかはわからない。だが少なくとも、結局当時の私は、彼女のためならば私はまだ生きていてもいいのではないかと、彼女を悲しませたくはないと──、そう考えたのである。
そのうち理由なんてどうでもよくなった。深夜3時、私は布団にこもり、嗚咽を温かな空間の中に閉じ込めながら、大粒の涙を流し続けた。毎日のように流していた冷たい涙ではなく、「生きたい」「死ななくて良かった」という前向きな、温かい涙であった。自殺一歩手前まで行って泣かなかった私にも涙はまだ残っていた。涙が枯れることなんてないんだなと思ったのを覚えている。

結局、次の日は体調が悪くて家でごろごろしていた。しかし、もう病んではいなかった。魂魄妖夢のことだけを考え、惚気たように一日を過ごしていた。


まあここで終わったらただのキモオタによる不思議な話なんだけどね。もう少し続くんだよね。


メンヘラというものは罪深い生物で、一度生きがいを見つけても簡単に死にたくなってしまう。一か月もしないうちに私はまた首吊りブランコぷらんぷらん作戦(何?)を決行しようとするのである。しかし、何度試そうとも、魂魄妖夢のことが脳に入ってくるのである。私が妖夢を思い出そうとしているのではなく、妖夢の方から私に飛び込んでくる。いつしか私は、妖夢に対して恋とも愛とも言えない、慕情を抱くようになった。

繰り返す自殺未遂の中で、「魂魄妖夢」というどんな希死念慮にも負けない強い生きがいを手にした私は、ある日から首吊りをしなくなった。魂魄妖夢は、私の命の恩人となった。あれから2年経った今でも、魂魄妖夢を慕って毎日生きている。死にたいと思うことはあっても死ぬ危険があることは絶対にしない。むしろ、命は他人より大事にしている。いつ死んでも良いとは思っているが、それはいつでも死ねるんだというのを知ったことによる悟りであり、いつ死んでもいいように毎日を最大限満喫しているということの裏返しでもある。


確かに、思い返せば永夜抄Lunatic初クリア目指しで幽冥組を使い始めたことをきっかけに魂魄妖夢に興味を持つなど、妖夢のことを脳内で考えるきっかけがないわけではなかった。それでも、私は意識していない相手から告白されたような、それなのに拒絶感を示さない自分が確かにいるような、これが実在する相手だったらロマンチックだなと思えるような、そんな不思議な夜のひと時を過ごしたのである。

ちなみに勘違いされないように言っておくと、私は魂魄妖夢ガチ恋していないし、結ばれたいと思っているわけでもないし、魂魄妖夢が今の私を好きでいるなどの妄想を抱いているわけではない。魂魄妖夢は存在しない一キャラクターであることをしっかり理解している。だが、それゆえに、彼女は私の心の中で生き続ける(半人半霊なので死に続けてもいる)。いつでも頼れる心の拠り所として、存在し続けてくれている。私はこんな死にたがっていた人間なので、天国なんていけない。だが、せめて地獄には落ちずに冥界に行き、願わくは生きていたころの話を魂魄妖夢に聞いてもらいたい。まあ存在しないキャラクターだから無理ではあろうが、そもそも死後の世界があるかもわからないのだから死後のことくらい好き勝手妄想させてもらう。

私は魂魄妖夢のため、なにより彼女が引き留めてくれた自分の命を大切にするため、明日も変わらず生きていく。PS.ここまで読んでいる人がいたら私雪だんごのことを今まで以上に気持ち悪く思っていそうですね