中学受験合宿の思い出について話すよ

プロローグ

私は頭が良かった。過去形である。そこそこ裕福な家庭に生まれ、幼少期から教育を受けていたおかげで小学校入学時には3年生くらいまでの勉強は終わらせていたし、4年生になる頃には小学校の勉強は一通り終わっていた。テストも満点以外取ったことがなかった。所謂天才だったわけである。

そんな頭が良かった私は、小4の夏休みに「等差数列」だの「二項対立」だの聞いたことのない単語を同級生が話していたのを聞く。彼らによると、世の中には「受験」というものがあり、地元の中学校じゃ物足りない人はみんな「受験」とやらをするのだという。頭が良いことだけに自信を持っていた私は、学校に私より頭が良い人間がいるのが気に食わなかった。そして何より、「世の中全ては金、金を得るためには良い企業に就職する必要があり、就職のためには学歴がすべてである」という可哀想な価値観を小4にして持っていたのである。結果、私は中学受験塾に入塾することとなった。

それから2年後。偏差値65~70をキープし、未だに頭が良かった私であったが、「人の価値を点数という数字で決められる」という世界に浸っていたことで心底うんざりしていた。そんな中、塾から「受験合宿についてのご案内」というものが届いた。私は親元を離れてまで勉強などしたくなかったので当然行く気はなかったのだが、講師に行かないという旨を伝えると、「え? 舐めてるの?」だの、「そんなんじゃ受かるわけないでしょ」だの、「行かないとか態度が舐め腐ってる」だの、「他の皆は全員行くよ」だの精神攻撃を受け続けることとなった。随分とスパルタである。私は反抗することができず、合宿へ行くこととなったのだが、これが地獄の幕開けであったのだ(ちなみに小5の頃も行かされたため2年連続である)。

概要

合宿の概要について話しておこう。
行程は4泊5日。誰も来ない長野県の某山奥へと連れていかれ、7時起床24時消灯の生活をさせられる。授業は1コマ2時間であり、それが1日に7コマ。起きてる時間のうち8割強が勉強時間というわけだ。
まあここまでなら勉強時間の多いただの勉強合宿といった感じであるが、ちょっとおかしいのはここからである。

おかしいところたち

まず、携帯電話持ち込み禁止。そもそも小学生のためガラケーすら持っている人は少ないのだが、親元と連絡できる道具はすべて出発前に没収される。家族との取り決めで連絡が必須という場合のみ、消灯前の5分間だけ、講師の付き添いの下でメールを1通送る時間が与えられる。受刑者の面会かな?

次に、外部情報の全シャットダウン。ホテルに到着後、「テレビ切断の儀(公式)」と呼ばれる儀式を真っ先に行い、マスメディアの情報を一切受け取れなくする。集中を途切れさせないという名目だろうが、実際には毎年夏にはどこかしらのバラエティーで中学受験合宿の大変さを取り上げる企画をやっているため、それを見て合宿のおかしさに気付かないようにしているのであろう。もはや洗脳である。
ちなみに、テレビをつけた班が1班だけあったらしいのだが、テレビのオンオフについては全て本部が監視しているらしく、昼食後の授業時間を削ってまで1時間半の説教が行われた。マイク越しに叫びながらキレていたためすごい音割れしていたのを覚えている。怖かったなぁ…………。

3つ目に、全授業中ハチマキ必須。ハチマキを外すと「気合が足りない!!舐めてんのか!!」とか言われて講師に叩かれる。一回私もぺしってされた。本来は部屋にいる際も外してはいけないらしいのだが、そこは講師間に対応の差があるらしく、特に何も言わない講師もいた。しかし一度だけ部屋の中で外していたら怒られたため、以降私は70時間くらいずっと頭にハチマキを巻いていた。
洗脳っぽいなあと思いつつも、一部のちょっと変な人たち活発な人たちはハチマキに「友人や講師のサイン」を書いてもらうことで受かるというカルトじみたことを言い続け、白地に赤く必勝と書かれたハチマキが黒色になるまで講師にサインを求め続けていた。ちなみに私も仕方なくその友人のハチマキにサインをした。そしてその友人は開成中学に受かった。迷信じゃなかったのか…………?

4つ目に、厳しい階級格差制度。学力によってホテルの行先が5種類くらいに分かれ、学力が良い組ほど良いホテルに泊まる。私はまあ一番良いホテルの組に泊まることができたのだが、そこで待ち受けていたのは「エリートとしての自覚を持て」というわけのわからない謳い文句であった。

学力ごとにバスやホテルが異なることから、特定の集団に対して呼びかける時はホテルの名前で呼ばれた。例えば私達が言ったホテルの名前を「オメガホテル」と仮称するのであれば、講師陣は「オメガのやつらこっちのバスなー」みたいな感じに呼びかけることになる。ここで問題なのは、ことあることに講師が「お前らオメガの誇りを持て!!」みたいなわけのわからないことを言ってくるということである。まあ実際はオメガという名前ではなかったのだが、ホテルの名前がそれなりにゴツい単語であったため、聞いていてかなりしんどかった。というか怖かった。

さらに恐ろしいのは、そのオメガ組の中でもさらに成績順で1~5組に分かれるというところである。成績が良い1組は塾全体でもかなり有名な講師が教え、成績が比較的悪い5組はその反対の講師が教える。まあそれでもオメガ以外の組よりは良い講師が教えてくれるのだが、どこへいっても成績で全てが決まるという事実は当時の私に重くのしかかった。更に、1組の人は「お前ら2組とかの連中なんかに負けていいとか思ってんじゃねえだろうなあ!?」とか言われるらしいし、5組では「お前ら5組になったことを恥じろよ!!もっと上に行きたいっていう欲求をぶつけろ!!」みたいな熱血指導を授業内でされる。で、周りを見ると全員ハチマキ。講師もハチマキ。疲れるね。ちなみに私は3組だった覚えがある。なんか3組って中途半端だからかあんまりなんにも言われないだよね。「4組に負けるなよ」くらいなことを大声で言われただけな気がする。そして、この成績によって決まるというのは、他にもまだあるのである。

それが、5つ目として挙げる4日目塾内テストである。合宿内での授業の目的は全てこれらしい。後述するのだが、4日目にあるキャンプファイヤーが終わって部屋に戻った後、すぐに食堂に全員呼びだされ、このテストを受けさせられる。科目は国算理社の4教科であり、これの成績が良いと景品がもらえるらしい(1位の人は受験終わった後にテレビとかもらってた覚えがある)。このテストで少しでも上に行くという気概が重要らしく、このテストを馬鹿にしたような発言を取るとそれはもう大変なことになる。

しかし、考えてみてほしい。オメガの5組が、塾全体でもトップクラスの精鋭の集まりである1組に、4日ちょっと勉強したくらいで勝てるわけがあるだろうか? 開成、筑駒、桜蔭などといった数ある名門中高でA判定を取るような人間に勝てるわけがあるだろうか? 当然、答えは否なのである。ということを講師に言いたいのはやまやまであったのだが、「1組じゃないから勝てないみたいな甘ったれた根性のせいでお前らはいつまで経っても〇組なんだ」という精神論を授業で聞かされているため、当然言い返すことはできなかった。
ちなみに、5位以内に入ったのは全員1組であった。現実は残酷なり。
余談だがさっきのハチマキサインマンは4位くらいに入賞してた。すご。

そして最後にあげるおかしいところ。それはキャンプファイヤーである。

4泊5日の中で、小6の行程は「就寝(同じ部屋のやつらがうるさい)」「朝のラジオ体操(音源が遠くて聞こえない)」「授業(根性論の押し付け)」「食事(説教ばっかり)」の4種類しかないのであるが、例外的に最終日の前日夜に、ホテルの外に1時間ほど歩いてキャンプファイヤーへと向かうというイベントがある。ちなみに人が住んでない山奥+20時ということもあってマジで外が何も見えなくて怖かった。合宿のしおりの持ち物欄に懐中電灯と電池の予備が必須と書いてあるほどである。

キャンプファイヤー会場では大きな特設ステージのようなものが組み立てられており、そこの前にキャンプファイヤーの火がセットされている。ホテルの種類を問わず全員が一堂に会し、ステージ会場でマイクを持った塾内の有名講師たちが演説を行っているのを、ステージより高くなっている草むらの斜面に腰掛けながらひたすら聞く、というのがイベント内容である。ちなみに特に面白いことは何もない。大体がキャンプファイヤー後のテストに対して気合を入れろみたいなことを言っているだけなので飽きる。

講師全員の演説が終わった後は、なぜかゆずの「栄光の架橋」を歌わされる。歌詞知らない人向けにしおりの裏に歌詞が載ってるので歌わないことは許されない。これを聞いて泣く、というのが当たり前らしく、泣かない人は感情がないとまで叱責される。私は当然泣く気などなかったのだが、歌を聴いているうちに4日間山奥に缶詰状態で勉強させられ、叱責され続けた日々が思い出され、自然と涙があふれだしてきたのを思いでいる。この時泣けなかったら私はこの曲を嫌いになっていたと思う。いい歌だよなぁ…………

この曲を歌い切った後、自然と辺りの空気はしんみりとする。私のように涙してしまった人も多かったのであろう。そして、20分ほどの何もしない時間が与えられる。この合宿中唯一の休憩である。ふと上を見上げれば、そこにあったのは満天の星空であった。
都会っ子であった私は、夜空で見たことのある星座なんてオリオン座くらいのものであった。しかし、長野の山奥、電灯も何もないそこは星を見る絶好のスポットであったのである。勉強漬けであった私は、実際に上を向くまでそんなことすら気づけていなかった。数百、数千、数万、いやもっとであろうか、まさに星の数ほどあるわけだが、そこで輝く星々は私の感情を奪った。周囲では教科書の中でしか見たことのない夏の大三角を探そうとする人らもいた。みな苦戦しているようであった。星はあまりにも多く、その中で特段光る一等星を見極めることは慣れていない人にとっては難しくて当然である。

時間が経ち、私の視点は白く幻想的に光る天の川に注がれていた。「昔の人はこれを見て道しるべにしたのも納得だ」とか、「英語圏でこれをmilky wayと呼ぶのもなぜなのかわかった気がする」などと一人ぼやいていたような気がする。現代化するこの日本の中で、私はあと何度あの夜空を見ることができるのであろうか。夜空は毎晩変わらずそこにあるはずなのに見えない星があるという感覚は不思議なものである。



私の合宿での唯一良かった思い出はあの星空を見られたことである。今でも忘れない。



ちなみに、こんな合宿だからか、脱落者は当然たくさん出る。倒れる人、授業をサボる人、などなど…………。誰かが脱落したことはすぐに噂となって広まり、娯楽の無い受験生の数少ない笑い話となる。私は脱落しなかったものの、同じ組の仲の良かった友人は階段から落ちて特段話題となっていた(受験生にとって他人がスベったという話題は特にウケるわけである)。あの転倒は果たして本当に偶然のものであったのだろうか…………それとも…………?

ちなみにその塾の合宿では数年後に大規模な盗難があったらしくマスメディアの話題になっていた。


一応合宿の擁護をしておくと、授業の質は良いものであったし、良いホテルだけあって食事もおいしかった。合宿というイベントでなければまた行きたいものである。願わくは、あの星空をもう一度。


最後に、あの時私が泣いたゆずの「栄光の架橋」の歌詞を貼ってこの記事は締めとする。ここまで読んだ人がいれば感謝である。

誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ
あの時想い描いた夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中


いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…


悔しくて眠れなかった夜があった
恐くて震えていた夜があった
もう駄目だと全てが嫌になって逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの支えの中で歩いて来た


悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
希望に満ちた空へ…


誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった


いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと
終わらないその旅へと
君の心へ続く架橋へと…